現社長 鎌形憲一の父で、当社二代目社長にあたる<鎌形四郎>が生前に書き記した社史です。
語りべの「私」は四郎自身のことであり、文中の「親父」は、四郎の父(現社長の祖父)になります。

クレドの導入や浸透活動を通じて社内の雰囲気が明るくなりました。
今後は、お客様に対して、より積極的に、より明るく働きかけてくれる人材になれるように社員一人一人に対して期待をしています。 実は、私の夢のひとつに「地元である多古町をブランド化したい」というものがあります。米百俵という話が有名になりましたが、これは長岡藩の話です。しかし、多古町にも同じような話があるのです。

明治35年に多古町の先輩方が「土地に良い田んぼを!」という事でこの近辺の田んぼを耕地整理しました。これは石川県についで全国で2番目の早さで当時画期的な試みだったのです。この耕地整理事業の成功を褒章し農林大臣より金一封が授与されました。この報奨金を基金として明治40年に多古町立乙種農学校が設立されたのです。それが現在の多古高等学校の前身です。多古の先輩方は、色々苦労して多古の風土に合うお米を探し、探し当てたのが現在の多古米なのです。

多古の田んぼは土質が軟らかく、お米作りには苦労するのですが、その分日本でも上位、千葉県ではいすみ米と並び美味しいと評価されていて有名なのです。

多古米のネームバリューはまだ低いですが、今、日本は農業がブームになりつつあります。自前で色々作るという事が見直され、家庭菜園をする人も増えています。多古米や作物を作りやすい環境と建物をうまく結び付けて多古町をブランド化できれば良いなと思っています。

当社は、農家の方を通じて畑を貸して頂く事が可能なのです。今お借りしている畑はすぐ近くに舗装された町の駐車場と水洗トイレが完備されています。こんなに恵まれた環境ばかりではありませんが、今後農業をやりたい方や家庭菜園をしたい方には、是非多古へ移住して頂きたいと願います。近隣地域の移住であっても、多古の畑を貸し出せるような企画も今後は考えたいと思っています。

我々が持っている商品や知識や技術や人脈を、多古のブランド化に貢献できるようにしたいですね。